2023.05.06

第1章 はじめに(2)

1.4 問題提起

上述したように、日本政府は持続可能な観光の実現に資する施策として富裕層誘致に向けた地方での上質な宿泊施設の整備を推進していますが、この施策には問題点があるように思えます。それは、地方への誘致・整備を想定している宿泊施設が大型ホテルであるという点です。委員会の中で、富裕層向けの「上質な宿泊施設」の定義は特に定められていませんが、資料における宿泊施設の説明では、「5つ星ホテル」「世界的に知名度の高いホテル」「世界レベルの高級なホテル」といった文章とともに記されており、こうしたものを想定していると思われます。そしてそのようなホテルのほとんどが客室数100室以上の大型ホテルです[1]。上質な宿泊施設が少ないという状況を示す資料として、現在日本国内にあるFive Star Alliance登録の5つ星ホテルの一覧が掲載されていましたが、それらホテルの客室数の平均については約300室にものぼります。

こうした大型宿泊施設の設置先として有力な候補と考えられているのが国立公園です。環境省では、「明日の日本を支える観光ビジョン」[2]の10の施策のひとつとして掲げられている、「国立公園のナショナルパークとしてのブランド化」を目指して「国立公園満喫プロジェクト」を実施しているほか、上質なサービスを求める旅行者の誘客に向けた具体的な取り組みとして、「分譲型ホテルの認可に係る規制緩和」「上質な宿泊施設の誘致」等も実施しており、同委員会においても環境省自然環境局国立公園課はオブザーバーとして参加しています。このように高級ホテル誘致先として有力視されている国立公園ですが、大型施設の建設には様々な制限があるというのが実情です。筆者が2020年12月17日に実施した環境省へのインタビューでは、国立公園内での施設建設においては建ぺい率や容積率、高さといった制限があるため、環境省は国立公園での大型宿泊施設の建設は難しいトピックであるという認識を示していました。具体的な制限としては、特別保護地区及び第1種特別地域には施設を建設することができず、第2種・第3種特別地域であれば、設立が可能であるといいます。しかし、第2種・第3種どちらの区域でも建設においては建ぺい率20%以下、容積率40%以下、高さ13m以下などといった制限があり、建設できる施設の大きさは限られてきます。

また、誘致される側としても、地方でのホテル設置には懸念される点があるのではないでしょうか。一般的な高級ホテルの多くは、不動産価値の高いもしくは上昇の見込める地域、または有名観光地に立地しています。加えて立地する場所では大型の宿泊施設が建設可能であるか、もしくは、高い客室稼働率が実現可能である必要があります。これは投資や資本のあり方に起因しています。高級ホテルにおいては、不動産ファンドなどの一般投資家が投資することが一般的です。その場合、資本となる投資家は当然ながら高い利回りを見込むことのできる場所に投資します。よって、京都やニセコ、沖縄などといった有名観光地が投資先になることが多くなっています。中でも、ニセコエリアに関して高橋(2020)は、国土交通省から2020年3月に発表された公示地価上昇率ランキングにおいて、ニセコエリアの中心地である俱知安町の住宅地が地価上昇率44%で5年連続全国1位、さらに商業地でも57.5%と全国トップであることから、ニセコは他を圧倒していると示しました。さらに、このようにして地価上昇率が非常に高いことからニセコはキャピタルゲインが狙えるため、海外の投資家はこのキャピタルゲインに魅力を感じて投資していることを指摘しました。

「上質なインバウンド観光サービス創出に向けた観光戦略検討委員会」は、その後、上質な宿泊施設の誘致に意欲的な自治体等の公募と、宿泊施設運営会社やデベロッパー等を引き合わせる場を提供するマッチング等をモデル事業として実施しました。現在は「地方における高付加価値なインバウンド観光地づくり検討委員会」へと名前を変え、上質な宿泊施設の誘致に向け引き続き検討を行っている状況です。

以上のように地方への高級ホテル誘致は現在も検討段階にあり、課題は多く山積していると推察されます。そこで、こうした高級ホテルの代案としてエコロッジの事業モデルを当てはめることはできないかと考えます。エコロッジとは、自然、文化、地域社会に貢献する比較的小規模な宿泊施設を指します。主にアフリカ、中南米など自然豊かな地を中心に広がっているこのエコロッジは、近年設備が充実しているものも散見され、海外ではそのユニークな体験価値から本物性を志向する旅行者や環境に配慮した旅行を好む人々に愛されています。まさにModern Luxury層が求めている体験価値があるといえ、成長率が高い市場にマッチしていることから、今後の展望も期待できます。つまり、エコロッジは前述のような課題の解決に資する宿泊施設であり、日本観光における持続可能性に寄与できるのではないでしょうか。

しかし、現在まで日本ではエコロッジという宿泊施設の考え方が浸透していません。これはインターネット検索の結果から推察することができます。Googleで日本語表記の「エコロッジ」と検索すると、海外で進んでいる事例としてその考え方や宿泊施設を紹介するサイトがわずかにヒットしますが、数えられる程度であって決して多いとは言えません。また、ヒット数が少ない理由としてすでに商標登録されている可能性も考えられましたが、「エコロッジ」での登録はされていませんでした。さらに、論文での言及について調べるため、Google scolarにて同様に「エコロッジ」と検索したところ、ヒットしたのは約30件と非常に少ない結果となりました。わずかにヒットした論文の内容を見ても、やはり海外のエコロッジを題材にしたものであり、日本を舞台とした言及はされていません。なお、英語表記である「Ecolodge」での検索結果は約4,700件でした。これらは一例ですが、この結果から日本でエコロッジがあまり知られていないことは明らかです。

一方、これまでもエコロッジが発展してきた海外での状況に目を向けると、近年エコロッジの概念に類似している施設をコレクションとして収集するホテルブランドなどが見受けられます。ただし、これらのコレクションでは「エコロッジ」という言葉を用いておらず、また施設の特徴もエコロッジの概念にとどまらないように見えることから、エコロッジの概念は近年さらなる発展を遂げている可能性があるとも考えられます。




1.5 論文の目的と調査方法

エコロッジが日本ではあまり普及していないという現状を踏まえ、本論文ではまず、エコロッジとはどのようなものを指すのか、その性質を明らかにすることを目的としました。エコロッジと関連するツーリズム概念の整理をはじめ、文献調査によってエコロッジの歴史を整理し、エコロッジを構成する要素を分析しました。その上で、近年のエコロッジの状況を調査し、事例調査を行いました。

さらに、日本の宿泊業にエコロッジの考え方を応用することはできるのか、国内の小規模宿泊施設である旅館を対象に、インタビュー調査及びアンケート調査を実施してその可能性を考察しました。

[1] 2021年12月17日観光庁及び環境省へのヒアリングによる

[2] 観光庁「明日の日本を支える観光ビジョン」本文 pp.3-5